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パンダの食費と映画館

映画を中心に、好きなことについて書いていきます。

クソみたいな選択肢の中から色々選んで生きていく人生

雑記

半年ほど前から、うつ病で会社を休んでいる。

 

抗うつ薬などを処方してもらって、何とか生活しているが、また同じ職場に戻ったら再発するような気がしてならない。

 

それでも、いつまでもは休んでいられないらしい。

 

戻らなければ、退職だ。

 

当たり前だけど。

 

退職して、何か新しいことを始めようか。

 

アラフォーなので、一般的な転職などは厳しいだろう。

 

世間的に見て、まぁまぁ恵まれた職場だったので、辞めて、転職したら更に劣悪な環境のもとで働くことになるのだろう。

 

それにしても、この半年、何の可能性も見いだすことができなかった。

 

働いていた頃は、時間さえあれば、もっとあれもこれもできるのに、と思っていたのだが、いざ半年の猶予を与えられても、自分にはほとんどやれることも、やりたいことも無いということに気づいただけだった。

 

そもそも、生きていくこと自体が、あまり気乗りしない事業だ。

 

的確な言葉が見つからないけれども。

 

こんなクソみたいな選択肢の中から、ギリギリ許容できる何かを選んでイヤイヤ生きていくってことが、嫌だ。

 

いつからこんな風になってしまったんだろうか。

 

小さい頃はほぼ毎日何かにワクワクしていたように記憶している。

 

20代も夢中になれるものはあった。

ロックンロールとか文学・映画なんかが好きだった。

 

その他にも、人知れずこんなことを考えていた。

 

「宝くじが当たるかも知れない」

「あの子とエッチできるかも知れない」

「ロックスターになれるかも知れない」

「旅に出れば人生が変わるかも知れない」

 

毎日毎日、好きでもない会社に通いながら、こんなことを考えて10年以上も過ごしてきたのだ。

 

いつの間にか、考えることも変わっていった。

 

「今日は忙しい。切り抜けられるだろうか。」

「今日のあの場面は危なかった」

「今日はラッキーだった」

「意外と出世できるかも知れない」

「わりと貯金が貯まっている」

 

「ロックスター」も「旅」もいつの間にか意識に上らなくなった。

 

そして、

 

「宝くじなんて当たるはずがない」

「特にエッチしたいと思わない」

「ロックスターになんてなれるはずがない」

「旅に出ても何も変わらない」

 

という、だいたい当たり前のことに気づく日を迎えた。

 

それでも、まだ人生は時間的には半分以上残っているし、妻とは仲が良い。

妻は、私がほとんど死んでしまいたいくらいに人生に絶望しているということには気づいていないと思う。

実際、妻と一緒に笑い合っている時には、とても幸せだ。

子供には恵まれていないけれども、他は何不自由なく暮らすことができている。

 

だけど、その暮らしを維持するために、毎日ただご飯を食べるためだけに、家賃を払い続けるためだけに、何かをし続けないといけない。

 

そのどれもが、特にしたいことではない。いや、むしろやりたくないことばかりだ。

 

この点についてだけは、ほとんど耐えられないくらい絶望している。